亡きともにささぐ

自分が情けないのだ

 

誠実さを持たず

努力をせず

人の情につけ込み

大きな口をたたき

何もできず

できない理由をならべ

ひとに泣きつく

 

人を認めず

自分でなにも生み出さず

まわりに腹を立て

不安にかられる

 

ともは減り

つながりは疎遠となり

自分の世界で動けなくなる

 

こんな私が亡きともになにを捧げればいいのだろう

彼女の奥ゆかしい強さへの

遅ればせながらの尊敬だろうか。

 

できれば愛をささげたい。

こころからの愛を。

 

私にかけているもの

なさけない私にみんながくれるもの

それを少しでもわたしから差し出したい

できない理由

わたしはずっと待っている

誰かが自分の目の前の問題や課題、仕事を片付けてくれることを。

親、姉、先生、上司、先輩、彼氏。

誰かが、見るに見かねて手を差し伸べて

片付けてくれると、心のどこかで思っている。

 

その思いがあるから、「見るに見かねて」の時期が来るまで

腹を決めず、物事を具体的に進めず、もたもたしている。

それで、優しく解決してくれないと、

この人は包容力がないとかマネージメント能力がない、

頼りにならないと感じて見下す。

 

「誰かが自分のお尻を拭いてくれる」そう思っているから

コツコツと仕事を片付けない(られない)。

時間軸を無視した、魔法のような解決をどこかで信じている。

これは、経済的なことに関しても同じで、親の遺産や宝くじを保険と考えている。

それに、解決策やまともに一歩前に進む様な考えをひねり出そうともしない。

そんなことをすると自分で解決しなくてはいけなくなってめんどくさいから。

 

そんな風に30年やってきたから、

生きて行く方法が分からなくなった気になって、

また、誰かが方向を提示してくれるのを口を開けて

文句を垂れ流しながら待っている。

もう、だれも私のお尻を拭く義務は負っていないのに。

(義務を負わす相手を探す為に、パートナーを探している様なところもある)

(でも、自分が不満に埋もれて、相手を恨んで不幸を撒くだろうと思って結婚は断った)

 

でも、1つ1つ馬鹿にしないで、前に進む方法を「自分で」試して行くしかない。

「死にたい」ってすぐに思うけど、

その反面、楽しそうに生きて、綺麗なおばあさんに憧れる。

無理なく、こじんまりと落ち着いていて

自分のルールで、迷惑をかけずに生きている

そうなりたいなって思う。

 

そうの方向で考えて、いまできることは。

・生活を綺麗に簡潔に保つ(肌・歯・髪・服・家・食事)

・言われた仕事はきちんとする

・分からないことは早めに調べて、確認する

・魔法の時間やお金はないと肝に命じる

・少しでも心が動いたら、調べる

・定期的に体を動かす

 

 

生き方としてのヨガ 著/龍村修

友人から借りた本、諸事情で途中までしか読んでいない。

 

ヨガに限らず、中医学チベット医学の哲学との共通点もあげながら

真に大切なのは氣を意識すること、氣を含めた全体(宇宙・神)を意識して生活することであるという理論をエッセイと方法紹介で説明している。200ページほど。

 

そこから気になったこと、思ったことが3点。

  1. 断行、離行、捨行
  2. 清める
  3. 下座行、奉公行

 

1.断行、離行、捨行

ある物事があることやすることが当然のことと思っていると、

その物事が本当に必要なのか、

どんな意味があるのか、どのような効果をもたらしているのかがわからなくなる。

そこで、物事の必要性や意味を実感するために一定期間、

普段行っている事を辞めてみる。ものを捨てて見る。例えば買い物とか、食事とか。

そうすることで、自分の執着があらわになって、それにこだわる必要があるのか見直す機会を得ることができる。

 

2.清める

毎日垢や汗で汚れる体を洗うこと(清める)は、

自分の管理義務として当然のことと考えている。

一方で、心についてはどうか?

心に汚れが溜まることは理解していても、それは自分の外部が原因であって

自分から汚れが出るなんて思ってもいないことの方が多いのではないか。

しかし、体と同じように心にも垢が溜まるとしたら?

毎日心を清めること(空にする)も自己管理の当然の義務ではないだろうか。

気持ちの疲れを他人のせいにしないで、

日常の汚れ、新陳代謝だと思って処理するととても気が楽になる気がする。

 

3.下座行・奉公行

お金を払って野菜を買うと、その野菜は自分の所有物でどのように扱ってもよいと思いがちだが、野菜にも野菜の命がありそれを大切に頂く義務が自分にあることを忘れてはいけない。

このように、ついつい自分を上位(上座)に置いたものの考え方をしがちであるが、

常に他者(この場合は野菜)を上座に置き、自分は下座にいる意識を持つことで、

傲慢に怠慢になりがちな自己の意識を戒めることができる。【下座行】

 

見返りを求めずに物事を行う。。。。奉公行。。。あまり頭に残っていない。

 

>>>その後、実際の体の使い方や宇宙観の説明が続く。ヨガの世界観も興味があるので、上の3つを試したあと(だいたい2ヶ月後かな)に全部読もうと思う。

 

 「生き方としてのヨガ」 

 

IBMConnectJapan@OSAKA

Get Social.  Do Business.

ソーシャルの力をビジネルの価値へと題した

グループウェアNotes/Domino9 Social Edisionのプロモーションセッションイベントへ参加してきた。

参加した理由は

社内ナレッジの共有をしたいけれど

従来の社内コミュニケーションのベースであるLotus Notesから

乖離したツールでは成り立たないとので、

最新のNotesの機能や同様のソフトが知るため。

 

結果として得られたのは3つ

1つめは、今使用しているNOTES6.5でもレイティングができる可能性があるという希望。

2つめは、Notesがとっても賢くなっていて、情報整理を半自動でしてくれると言う事実。

3つめは、PPTは説明資料ではないという実例。

 

まず、1つめの6.5でレイティングができる!?

集まったノウハウ情報のうち使える情報を選別するには

ユーザ側の評価が必要だと思っていた(facebookのいいね)。

その機能と似た動きがかっこ良くはないけどできるらしい。

 

そして、2つめNotesはとっても賢くなっていた♪

メールに添付されたデータですぐにサーバーがいっぱいになって

管理者から怒られたり、

DBに掲載されている情報や添付ファイルのどれが最新なのかわからなくて

担当者に聞いたり、書類作成やり直しになったり、

そういう嫌なことが自動的になくしてくれる機能がデフォルトでついてる。。。。

 ステキ機能① 添付ファイルをメールごとに保存せず、添付ファイルを独立して保管し、個々のメールで共有することでデータ容量を抑えてくれる。

 ステキ機能② 関連メールを時系列で芋づる表示してくれる(Gmailみたいな)。これで最新情報を探しやすい。

 ステキ機能③ DBの更新をしたら、最新情報のみを表示し、それまでの履歴は裏にしまっておいてくれる。これで書式を間違えることはないし、履歴も見られる。

 

最後に3つめPPTってこうやって使うのね!

「最新版同士で徹底比較!」のセッションをされた平塚氏のプレゼンは

今まで私が見てきたプレゼンの中で最もうまくPPTを使いこなした面白いものだった。

今まで見てきたPPTは配布資料、よくて配布資料を少しシンプルにしたもので、

プレゼンターはPPT資料のペースでプレゼンを行っているようだった。

しかし、平塚氏のプレゼンは彼の話のペースにPPTが彩りを添えるように

PPTはおもしろネタやイメージを喚起するものとして利用されていた。

いままでにTEDで見たことはあったけれど、生で見るとこんなにも衝撃。

オーバーリアクションの西洋人の顔写真の効果なんて知れていると思ってたけど

感情的に聴衆を引きつけるために効果絶大で、

これからおもしろ画像を集めて行こうと思う。

 

 

ちなみに、社内ソーシャルの導入ポイントも説明もよかったので後日。